こんにちは!【SEVEN&EIGHT MUSIC】の管理人『ななおえいと』です。
「安室奈美恵さんシリーズ」第3弾です。このシリーズ前の記事、安室奈美恵さん②【TRY ME ~私を信じて~】でついにヒット! では安室奈美恵さん、ブレイクまでの苦難の道のりを書いていきました。「平成の歌姫、安室奈美恵」もすべてが順調ではなかった。
「TRY ME ~私を信じて~ 」でついにブレイクした安室奈美恵さん。「TRY ME ~私を信じて~ 」はユーロビート路線の楽曲でしたね。この当時はユーロブーム。この勢いに乗らない手はない!とばかりに 「太陽のSEASON」、「Stop the music」とカバー曲&ユーロビート路線で続けざまにシングルを出していきます。 ちなみに、「太陽のSEASON」が安室さん単独名義で出された初めての曲で(それまでは 「with SUPER MONKEY’S」ついていましたね)、名目上ソロデビュー作となります。
そんな勢いのある安室奈美恵を、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったあの人が目を光らしていました。
小室哲哉、全面プロデュース時代突入
目を光らしていた人物、そう「小室哲哉」。
90年代のJ-POPを牽引した天才音楽プロデューサー小室哲哉。そのすごさはハンパじゃなかったのです。安室ちゃんをプロデュースする以前にすでに 「TRF」「篠原涼子」「globe」など名だたるアーティストのプロデュースを手掛けヒット曲を連発。破竹の勢いだった小室哲哉氏。そんな小室哲哉と安室奈美恵がついにタックを組むのです。
「Body Feels EXIT」で魅せつけた!小室哲哉
このタックは8枚目のシングル「Body Feels EXIT」から始まります。「Body Feels EXIT」が最初の小室哲哉プロデュースによる楽曲となります(作詞・作曲 小室哲哉)。
実は当時17歳の安室ちゃん。「小室哲哉プロデュース」が決まってからものすごいプレッシャーを感じていたんです。すでに「TRF」「篠原涼子」「globe」などの作詞・作曲・プロデュースを手掛けヒットを連発している天才、音楽プロデューサー小室哲哉氏。「小室哲哉さんに作詞・作曲・プロデュースをしてもらえるのはとってもうれしい。でも、小室さんプロデュースによる他のアーティストのように、小室さんが作った曲を私が歌って売れなかったたらどうしよう… やばい責任重大だ。」 安室ちゃんはかなりプレッシャーを感じていました。
ここだけの話、僕だって安室ちゃんに負けないくらいのプレッシャーを背負って生きてきました。当時は学生。お腹が弱く、よくお腹を下していたものです。 その日も朝からお腹の調子が悪かった。 家を出る前に正露丸を飲むかどうか、そりゃー真剣に悩んださ。「正露丸はダメだ…だってニオイでばれるから…」 今思えばそれが過ち。その日の数学の授業。その時間、腹痛に苦しんでいた僕。「サイン・コサイン・タンジェント、サイン・コサイン・タンジェント」。 たしかそんな呪文を唱えていた…。 しかしそんな呪文は正露丸ほどの効果もなく、やつは容赦なくやってくる。 「トットイレに行きたい… トットイレに行きたい…」。 でも恥ずかしくて「先生! トッ、トイレに行ってきていいですかっ!?」とは聞けないうぶな年ごろ。先生から「おう!行っトイレ」なんて返事があってクラスの爆笑を取られた日には末代までの恥。 でもお腹が痛い。ぜったい漏らせない… お腹が痛い。「サイン・コサイン・タンジェント、サイン・コサイン・タンジェント…」 ぜったい漏らせない。一滴も… 一滴も…「この一滴は、この一滴は、この一滴は、大河の一滴……ナリ…(そのまま気を失う)」。
安室ちゃん同様、僕だってこれくらいのプレッシャーは感じていまいた!
話を戻します。そんな心配をよそに初の小室哲哉プロデュースによる曲、「Body Feels EXIT」は累計売上88万枚の大ヒット!!
「安室奈美恵、17歳の快進撃」がここから始まります。
「安室奈美恵さんシリーズ」次回もお楽しみに!
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