こんにちは!【SEVEN&EIGHT MUSIC】の管理人『ななおえいと』です。
「安室奈美恵さんシリーズ」第2弾です。このシリーズの前の記事 、安室奈美恵さん① SUPER MONKEY’S時代では、安室奈美恵さんのデビュー当時、「スーパーモンキーズ時代」を中心に書いていきました。
安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S【TRY ME ~私を信じて~ 】でブレイク!
以降、いちファンとして安室奈美恵さんに敬意を表して「安室ちゃん」と呼ばせていただきます。
当初5人でデビューした「スーパーモンキーズ」は牧野アンナさんが抜けて4人体制の「SUPER MONKEY’S 4」となり、さらに安室奈美恵メイン体制がより強くなり「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」に名前を変えたのでした。4枚目のシングル「PARADISE TRAIN」(パラダイス・トレイン)がリリースされた以降は安室ちゃんが単独でボーカルを務めていきます。ぐいぐい「安室奈美恵」を前面に押し出してきました。その後、 SUPER MONKEY’Sのメンバー新垣 寿子(あらかき ひさこ)さんがグループを脱退してしまいます。
順風満帆に見える安室ちゃんのスター街道。トキメキに満ち溢れ、期待で胸躍っていたデビュー当時。しかし、安室ちゃんに焦りが出てきます。「ヒット曲が出ない…」と。デビューしたらすぐにヒット曲がでると思っていた安室ちゃん。しかし、2作目、3作目とシングルを出すもヒットしてくれない。「なんで? どうして?」安室ちゃんは悩みました。センターという重圧と責任。焦りが募(つの)ります。「私がセンターでメインボーカルをしてるから…ヒット曲がでない…」。 安室ちゃんはこう結論を出します。彼女は当時の事務所の社長に言いました「やめさせて下さい…」と。
若干15歳の少女がここまで悩んでいたんですね。「平成の歌姫、安室奈美恵」もすべてが順調ではなかった。個人的見解ですが、安室奈美恵さんの悩みは、SUPER MONKEY’Sのメンバー脱退や入れ替わりなどによる人間関係のデリケートな問題もあったのでは?と思っています。
僕が15歳のときは「コーラを一気飲みしてげっぷを出したら負けよ!ゲーム」をよくやっていたものです。同じ15歳でもこの違いはなんなのでしょうか?
しかしこの停滞ムードを吹き飛ばすかのように、新し風が吹き込んできます。新垣 寿子(あらかき ひさこ)さんと入れ替わる形で、メンバーに「Lina」と「Reina」が加わります。そうあの「MAX」のメンバーの。「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」は5人体制に戻り、SUPER MONKEY’Sのメンバー4人も、あの「MAX」のメンバー。「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」のセクシー度も上がってきました。
そしてその時が来ます。満を持してリリースした5枚目のシングル、「TRY ME ~私を信じて~」でついにブレイクします。
「TRY ME ~私を信じて~」。信じていましたとも、安室ちゃん。ついに、この日がきました!「TRY ME ~私を信じて~」はカバー曲でありユーロビートです。
「ユーロビート」とは、日本で独自の発展を遂げたとっても早いテンポと明るい雰囲気のダンス・ミュージックです。「クラブ」で踊られる「パラパラ」を知っていると思いますが、その「パラパラ」を踊ることを目的に作られているのが「ユーロビート」という音楽ジャンルです。「TRY ME ~私を信じて~」はがっつりユーロビート路線。
パラパラはクラブのお客さんが好き勝手に踊るのではなく「完全に決められたフレーズを全員一緒に踊る」ということに最大の特徴があり、フロア全体が一体となります。この当時はディスコなどで「ユーロブーム」。それも追い風になり「TRY ME ~私を信じて~」はついに累計売上73万枚の大ヒットを果たします。
安室奈美恵ちゃんはここから爆発的にスター街道を駆け上って行きます。当然あの人も目を光らせていた… あの人です、ほらあの人。「えっ? 誰って?」 「わかるでしょ、TK ですよTK」。 そう!「黒柳徹子」。「♬そうよっ♬ るーるるっ♪ るるる ♪ るーるるっ♪ るるる 私を信じて~♬」。 ……… ハイッ、違いますね「小室哲哉氏」です。
いよいよ「小室哲哉」全面プロデュースが始まります!
「安室奈美恵さん、ありがとう!」シリーズ次回もお楽しみに! るーるるっ♪ るるる ♪ るーるるっ♪ るるる… でフェードアウト
[セブン & エイト ミュージック]の記事を最後までお読み頂きありがとうございました。